ども、杉野です。

台風11号の被害が最小限で済むことを祈りつつ
26回目のここヒル配信です。

 

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第26号 思い込みは現実化する

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ナポレオン・ヒルの書いた有名な本に『思考は現実化する』
というものがあります。

この本については巷のブログでもよく取り上げられていて、
僕が見たかぎりほとんどの人は「ホントに思考は現実化するん
ですよ!」的なことを言っています。

みんなそれぞれに実体験を根拠にして「私はこうやって思考を
現実化させました」と言っている。

別に今はこのことをとやかく言うつもりはありません。

本人がそうだと言うのだから、恐らくそうなのでしょう。

僕がここで考えたいのは、そういう個人的な体験を根拠にした
主観的なものではなく、もっと万人の役に立つ客観的なもの、
つまり思考が現実化する「原理」です。

なぜ思考は現実化するのか。

どういう理屈で、何がどうなることで思考は現実化するのか。

それを今回は考えてみたいと思います。

 

最初に考えたいのは、「現実化する思考」とはどのような思考か、
ということです。

当たり前ですが、すべての思考が現実化したら世界は大変なことに
なってしまいます。

例えば誰かと喧嘩したときに「あんなヤツ、死ねばいいのに」と
一瞬だけ思ったことが現実化したら、かなりヤバイですよね?

でも、そんなことはまず起こりません。

われわれの思考は基本的に「現実化しない思考」だからです。

では「現実化する思考」とは何なのか。

一般にそれは、繰り返し強く思ったこと、とされます。

何度も何度も「自分は成功できる、自分は成功できる・・・」と
刷りこむことによって強く思考できるようになり、やがてそれが
現実化する、という具合です。

要するに、そこで言われているのは、弱い思考は現実化しないけど、
強い思考は現実化するということです。

では思考の強さとは何なのでしょう?

われわれが「1+1=2」という思考をする場合、そこにおける
思考の強さは、1+1=2の度合い、です。

厳密に言えば、1+1=2だと思い込んでいる度合い、です。

1+1=2自体には是非があるだけであって、強いや弱いという
度合いはありません。

今は10%ぐらい1+1=2なんだけど、なんとかがんばって
50%ぐらい1+1=2にしてほしい、みたいな会話はあり得ない
ですよね?

そういうことです。

同様にして、「自分は成功できる」という思考をする場合も、
そこにおける思考の強さは、そう思い込んでいる度合いを
意味します。

つまり思考の強さとは、思い込みの強さであり、思い込みの強い
思考は現実化するということなのです。

 

ここでまた疑問が湧きます。

なぜ思い込みの弱い思考は現実化せず、思い込みの強い思考は
現実化するのでしょうか?

今考えたことから導けるのは、思い込みの強さが現実に影響を
与えているということです。

だとすれば、思い込みと現実の間には何らかの関係があります。

ところで、現実とは何でしょうか?

例えば僕の目の前にはパソコンがありますが、このパソコンが
存在することは僕の現実です。

けれども、もしかしたら、それは僕が勝手にそう「思い込んでいる」
だけかもしれません。

なぜなら、われわれには何かが存在することを証明することは
できないからです。

僕は目の前にパソコンが見えている気がしているだけかも
しれないし、パソコンを触っている気になっているだけかも
しれない。

自分の感覚は絶対にウソをつかないと、どうして断言することが
できるでしょう。

万人がパソコンの存在を認めたとしても、万人の感覚が誤っている
可能性は消えません。

『シックスセンス』ではありませんが、本当は死んでるのに、
生きているつもりになっている、という可能性もあります。

だとすれば、現実とは、われわれがそう思い込んでいるものに
過ぎないのではないでしょうか。

自分の感覚を正しいと思い込み、その感覚が知覚したパソコンは
存在すると思い込み、自分はそれを正しく捉えていると思い込む。

そう、現実とは、われわれの思い込みそのものなのです。

 

ここまでくれば、なぜ思い込みの強い思考が現実化するのかは、
誰でも分かると思います。

それは

思い込むこと=現実化すること

だからです。

ただここで注意しておきたいのは、実は思い込みには
度合いなんてない、ということです。

思い込んでいるか否か、思い込みにはそれしかありません。

99%の思い込みは、思い込んでいないのと同じです。

だって「思い込む」という言葉の定義が、100%そう思っている、
一切疑いを挟まない、という意味なんだから。

その意味で、ちょっとだけ思い込む、は語義矛盾です。

50%満杯みたいな。

満杯なのか、50%なのか、どっちやねん、と。

そんな感じです。

思い込んでいるか否かが、それが現実化するか否かを決めているのです。

 

今回のタイトルは『思い込みは現実化する』としました。

この間に入っている「は」という助詞は、『思考は現実化する』の
「は」と同じ意味で使っています。

多くの人は、この「は」を勝手に解釈して「思考することによって
現実化する」と思い込んでいますが、この「は」は因果関係ではなく、
順接の「は」です。

どういうことかというと、「思考は現実化する」の正しい解釈は
思考=現実化する、だということです。

思考する「から」現実化するのではなく、思考「は」現実化するのです。

思考「即」現実化、と言い換えてもいいでしょう。

この思考は思い込みのことですから、思い込み「即」現実化です。

それが『思考は現実化する』『思い込みは現実化する』の正しい
解釈であり、意味なのです。

 

あなたの現実は、あなたの思い込みが作っています。

あなたにとって今の現実が望ましくないものならば、
それはあなたが望ましくないことを「そういうものだ」と
思い込んでいるということです。

人生なんてちっぽけなものだ。

俺の人生なんて所詮はこんなものだ。

そう思い込んでいるかぎり、その思い込みはそのまま現実化します。

現実化は今この瞬間にも起こっています。

焦る必要はありませんが、そのことをいつでも自覚するようにして
ください。

思い込みを変えるには、思い込みを知らなければならないのです。

ありがとうございました。

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