ども、杉野です。

先日、以前募集していた「目標を明確にする」に関する意見を
1名の方からいただきました。

ホントは複数のメールがなければ解説する気はなかったのですが、
その方の意見が非常に真面目かつ真剣に考えられたものだったので、
それに心打たれて解説することにしました。

僕も人間ですからね(笑)

感情が動かされれば、こうなります。

ちなみに、その優秀なメールをあなたにも見てもらおうと思って、
転載についての確認メールを送ったのですが、今のところ返事が
きていないので、転載不可ということで判断させて頂きました。

ちょっぴり残念ですが、まあ仕方ありません。

そんなワケで(?)さっそく本編をどうぞ。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第9号 目標の明確化とその限界

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「失敗の最大の原因は、明確な人生目標の欠如にある」

これは毎度お馴染みナポレオン・ヒルの言葉ですが、世間の人たちも
みんな彼と似たようなことを言っています。

よく出される例としては

「大金持ちになる」という漠然とした目標ではなく、「1年後に
1億円稼ぐ」という具体的な数字を挙げた目標にしなさい

みたいなのが多いですね。

これぐらい明確にしておけば、そこから逆算して半年後に5千万円、
3ヶ月後に2500万円という風に短期的な目標も立てられるし、
短期的な目標が立てば今やるべきこともおのずと見えてくる。

だから目標は明確にしなければならない。

これが彼らの理屈です。

これについては僕も特に異論はありません。

お金持ちになることだけが目標なのであれば、こういう目標設定の
仕方は正しいと思います。

 

ただ、細かく言えば、お金持ちにも色々なタイプがあります。

デブで下品なお金持ち、ケチで嫌味なお金持ち、太っ腹なお金持ち、
上品で崇高なお金持・・・どれもお金持ちには違いありません。

このお金持ちの定義を仮に年商1億円としましょう。

そうすると、デブで下品な年商1億円のお金持ち、上品で崇高な
年収1億円のお金持ち、という風にお金持ちを分類することが
できます。

普通に考えて、デブで下品な年商1億円のお金持ちには誰もなりたく
ないでしょうから、多くの人が目指すのは上品で崇高な年商1億円の
お金持ちということにしておきましょう。

すると、ある重大な問題が生まれます。

「上品で崇高な」は明確化できないのです。

 

上品さや崇高さとは、特定の動作や仕草に由来するものではなく、
その場その場の対応によってきまります。

いつも言葉遣いに気をつけているからといって、その人が上品に
思われるとは限らないし、熱心なキリスト教徒だからといって、
崇高な人間だとは限りません。

言葉遣いだけが綺麗で、お金の使い方が下品なお金持ちなんて、
世の中にはゴロゴロいるワケです。

上品さや崇高さというのは、その人の生きる態度に由来します。

それらを身につけるには、常にそういう人間であろうという態度で
生きるしか方法はありません。

つまり、「上品で崇高な」という目標は、厳密に明確化することは
できないし、明確化するべきでもないのです。

 

巷の自己啓発書には、この辺の厳密さが大きく欠如しています。

目標には明確化していいものと、明確化してはいけないものが
あるにもかかわらず、それらの本ではどんな時も目標は明確に
しなければならないかのように説明されているのです。

明確化してもいいのは、数値化できる合理的な目標だけです。

お金、体重、テストの点数、短距離走のタイム、資格試験の合格、
起業、会社の顧客数などなど、これらは明確化してもいい目標であり、
そうしないと意味を為さないものがほとんどですから、むしろ明確化
しなければならないものだと思います。

資格試験や起業が数値化できるというのは少し違和感があるかも
しれませんが、合否や成功失敗のように1か0かで判断できるものは
すべて数値化できると捉えてください。

逆に上品さや崇高さなどは、「少し上品」とか「崇高なときもある」
みたいなことが、往々にしてあり得ます。

これらを「今日は50%の上品さを目指そう」という目標にした
ところで、何の意味もありません。

できるのは精々「昨日よりも上品であろう」ということぐらいです。

けれども、この目標においては、それで十分なのです。

昨日よりも今日、今日よりも明日。

そうやって過去の反省を活かして生きていこうという態度そのものが
上品で崇高な生き方なのですから。

 

年商1億円を目指すことは、何も悪いことだとは思いません。

目指したければ頑張ればいいと思うし、そういう努力を重ねることは
素晴らしいことだとも思います。

ただ、その努力の「仕方」で、上品さや崇高さが決まってくることを
忘れないで欲しいのです。

下品な仕方で1億円を稼げば、下品なお金持ちになります。

上品な仕方で1億円を稼げば、上品なお金持ちになります。

多くの人が見落としていますが、すべてはお金持ちになるプロセスに
かかっているのです。

その意味で、仮にどれだけお金が欲しくても、われわれは1億円を
稼ぐことだけを目標にすべきではありません。

そうではなく、いかに紳士的で上品で崇高でスマートなやり方で、
お金を稼ぐことができるのか。

そっちにこだわるべきであり、それが成功に値する人間としての
在り方なのです。

 

われわれにとって重要なのは、明確化できる目標ではなく、
明確化できない目標です。

この違いを厳密に理解してくださいね。

 

この記事に関するご意見ご感想があれば

info●philosophia-style.com

まで送ってください。

ありがとうございました。

杉野

 

追伸1:迷惑メール事情について。

ここのところ(特にGメールで)僕のメールが迷惑メールフォルダに
入れられてしまう現象を確認しています。

何人かの方からも、そういう報告を頂きました。

まぐまぐは恐らく大丈夫だと思うのですが、もし確実に受け取りたい
場合は、各々のメールソフトでフィルター設定などをしておいてください。

よろしくです。

 

追伸2:ブログ。

メルマガのバックナンバーはブログに貼っておきます。

復習したい場合はいつでも見に来てくださいませ。

実はたまに書評なんかも書いています。

http://kokohiru.philosophia-style.com/

 

追伸3:メルマガの登録・解除。

登録・解除は以下のリンク先からどうぞ。

http://www.mag2.com/m/0001593615.html