【第14号】なぜ99%の人は成功者の真似をしても成功しないのか

No Comments

ども、杉野です。

気が向いたので、珍しく2日連続で配信しちゃいます。

んじゃ、早速どうぞ。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第14号 なぜ99%の人は成功者の真似をしても成功しないのか

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「成功者の真似をすれば成功できる」

巷の自己啓発書には、よくこういうことが書かれています。

お金を寄付したり、トイレをピカピカにしたり、財布に大量の
お札を入れておいたり、ブランドの服を着たり、そうやって
成功者が日常的にやっていることを真似すれば成功できる
というのが、この手の本の理屈です。

そういえば僕の嫌いな某S一人さんは「成功したければ
ロレックスの時計を身につけろ」とか、しょーもないことを
言っていました。

この理屈は正しいように見えるし、実際、正しいのですが、
多くの人はこの話を正しく理解できていません。

そもそも「真似する」とは、行為や格好を真似することに
限ったことではなく、思考や意識や気持ちや信念なども含めて
真似するということを意味しています。

例えば同じ「お金を寄付する」という行為でも、お金持ちに
なりたくて寄付するのと、慈善の精神から寄付するのとでは、
まったく意味が異なるということです。

素朴に考えてみてください。

そもそも寄付とは、対価を期待せずに、純粋な慈善精神から
お金を与えるから寄付なのであって、「お金持ちになる」
という対価を期待してお金を与えるのは寄付とは呼びません。

これは言葉の定義の問題です。

つまり、お金持ちになるために誰かにお金を与えている人たちは、
残念ながら成功者の真似が出来ていないのです。

 

99%の人は成功者の外面を真似るばかりで、内面のことは
ほとんど考えていません。

本当の成功者は、誰よりも内面が優れています。

誠実で、寛容で、ユーモアで、慎ましやかで、愚直で、素直で、
一生懸命で、情熱的で、義理人情に厚く、相手のことを第一に
考えている。

だから彼らは成功者なのです。

だとすれば、われわれが真似すべきは、外面ではなく、
この優れた内面なのではないでしょうか。

外面的なロレックスを持っているか否かなんてことは、
どうでもいいのではないでしょうか。

 

ロレックスを身につけて内面が変化するなら、2本でも3本でも
身につければいいと思います。

お金を寄付して、トイレをピカピカにして内面が磨かれるなら、
いくらでもやればいいでしょう。

しかし、そうでないなら、そんなことは真似をしても何の意味も
ありません。

なぜなら、そんな「誰でもできること」に価値はないからです。

ロレックスなんて、お金さえ払えば誰でも手に入れられます。

トイレをピカピカにするのだって、やろうと思えば誰でもできる。

でも、ロレックスに相応しい自分になることであったり、
トイレ掃除を心から楽しめる自分になることは、そう簡単に
できることではありません。

だからこそ、そこに大きな価値があるワケです。

 

成功者の真似をすれば成功できる。

これは本当です。

しかし、当然ですが、成功者の「簡単に真似できる部分だけ」を
真似しても成功することはできません。

巷の本に書かれているのは、まさに今言った「簡単に真似できる
(誰でもできる)部分だけ」です。

だからどれだけやっても成功に近づかないのです。

本当に大事なのは、真似が難しい内面、つまり人間性です。

いい人、素晴らしい人、偉大な人、なんと言ってもいいですが、
そういう「人として」の部分を真似できれば、あなたの成功は
グンと近づきます。

成功者の真似をお手軽なものだと思ってはいけません。

成功者の真似をするとは、成功者が越えてきた同じ苦難を
乗り越える、ということなのですから。

 

ありがとうございました。

杉野

 

追伸1:感想など。

この記事に関する意見や感想などがあれば、

info●philosophia-style.com

まで送ってくださいませ。

 

追伸2:ブログ。

メルマガのバックナンバーはブログに貼っておきます。

復習したい場合はいつでも見に来てくださいませ。

http://kokohiru.philosophia-style.com/

 

追伸3:メルマガの登録・解除。

登録・解除は以下のリンク先からどうぞ。

http://www.mag2.com/m/0001593615.html

【第13号】猫が教える成功哲学 ニャポレオン・ヒルの秘密(4)

No Comments

ども、杉野です。

今回もレオン様は大活躍です(笑)

それではどうぞ。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第13号 猫が教える成功哲学 ニャポレオン・ヒルの秘密(4)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

・・・3日目・・・

この日、鉄平は約束の時間より30分早く起きていた。

レオン様に昨日のことを謝るためだ。

外はまだ真っ暗である。

「うーん、眠みぃー・・・」

鉄平が目をこすっていると、いつものようにレオン様が
突然現れた。

「よっ!」

「おはようございます」

「なんだ、今日は驚かぬのか」

「いや、昨日のことを謝ろうと思って」

「なるほどな」

「して、どうだった?」

「レオン様の言う通り、俺は何も分かってなかったよ」

「息抜きのつもりで言った飲み会が、逆にストレスになった」

「そうだろうな」

「お前は今ホンモノになるための訓練をしておるのだぞ」

「そんな人間が今更ホンモノでない人間に会ってなんになる」

「そうだね・・・」

「孤独を恐れるな、鉄平」

「やるべきことをやれば、いずれ新しい仲間ができる」

「それまでは自分のことだけに集中するのだ」

「今回の件は多めに見てやるから、次からは気を緩めるでないぞ」

「はい、ありがとうございます」

「分かればよろしい」

「しかし、アレだな、鉄平よ」

「ん?」

「謝る気があるなら、どうして私に手土産の1つも買って来ぬのだ?」

「いやー、それはー、あのー、そのー(やっぱりここでも食い意地は
健在なのか・・・)」

「ごめんなさい」

「それだけか?」

「あ、いや、じゃ、明日なんか買ってくるから」

「うむ」

「ふぅー(これからはつねに賄賂を用意しておくか)」

「では昨日と同じように、瞑想をはじめるぞ」

「おっす!」

 

ここから一週間、鉄平は昨日と同じことを繰り返した。

朝4時に起きて7時まで瞑想。

それから朝食を食べ、8時頃から昼休みを挟み夕方まで「なぜ?」と
自問自答し続けた。

そして遂に、鉄平は自分のやりたいことを見つける。

 

・・・8日目の夕方・・・

 

ノートを眺めていた鉄平が声をあげる。

「なんか分かったかもしれない」

「何がだ?」

「やりたいことだよ、やりたいこと」

「ほぉ、やっとか」

「うん」

「で、お前のやりたいこととは、なんなのだ?」

「バカにしたりしないでね」

「当然だ」

「俺、世界を楽しくしたい」

「これまた壮大な夢だな」

「漠然としているようだけど、そうじゃないんだ」

「俺の中ではすごくシックリきてるんだよ」

「言わずとも分かっておる」

「私を誰だと思っておるのだ」

「あ、そうだよね」

「お前の中でシックリきているのならば、それでよい」

「うん」

「今までは敢えて言わなかったが、お前に教えた方法を使うと、
結局は誰もがそのような結論に至る」

「世界を平和にする、世界を楽しくする、世界をよりよくする、
みんなを幸せにするなど、言葉は違えど言っていることは同じだ」

「しかし、その言葉の意味するところは、それぞれ異なる」

「お前がお前の中でシックリきているように、他の者は他の者の中で
シックリきているということだ」

「何が楽しいかは人によって異なる」

「当然、平和のイメージも異なる」

「だからこそ、他でもないお前自身の“楽しい世界”を見つける
必要があったのだ」

「今ならなんとなくだけど言ってる意味が分かるよ」

「うむ、それならよろしい」

「そういえばサン=テグジュペリも言っておったな」

「肝心なことは目に見えない、と」

「この言葉は視覚的なことだけに捉えられがちだが、実は違う」

「ヤツに言わせれば、目に見えないとは、言葉にならないものも
含んでいる」

「言葉になっているものは、言葉として目に見えるからな」

「つまり、お前の今の言葉にならないもの、なんとなく
分かっているものこそが、肝心なことなのだ」

「よく覚えておくようにな」

「うん、分かった」

「よし、それでは飯にするぞ」

 

「ところで鉄平」

「ん?」

「一週間ほど前に言っていたアレはどうなった?」

「アレって?」

「ほれ、言っておったではないか、何か買ってくる、と」

「あ、それのことね、ちゃんと買ってあるよ」

「おぉ、本当か!」

「もちろん」

「で、で、どこにあるのだ?」

「買ってあるなら、さっさと持ってこぬか」

「うん、じゃあちょっと待ってて」

鉄平は流し台の下から何かを取り出した。

「はい、これ」

「おおぉー!って、なんだこれは」

「サバの缶詰」

「きさまぁぁぁぁ、私を愚弄するにも程があるぞぉ!!」

「え?もしかしてサバ嫌い?」

「そういうことではないわ!」

「猫に貢ぐものといえば、マタタビに決まっておろうが、
この愚か者め!!」

「えぇ、そうなの!?」

「当たり前だ!」

「私がどれほど期待したことか・・・くぅ、私の青春を返せぇ!」

「いや、青春は関係ないだろ」

「この絶望感をどうしてくれる!」

「そんなこと言われてもなぁ・・・」

「呪ってやるぅー、呪ってやるぞぉー、鉄平・・・」

レオン様は鉄平の頭にしがみついた。

「んな大袈裟な」

「シャァァァー!!!」

「分かったよ、分かったから、ちょっと落ち着けって」

「とりあえず頭から降りなさい」

レオン様、着地。

「ふぅ・・・じゃあ今度マタタビ買ってくるから、今日はこれで
我慢してよ」

「ホントだな?ホントのホントだな?」

「ホントだって」

「今度裏切ったら、どうなっても知らぬからな」

「はいはい、分かったってば」

 

・・・9日目・・・

 

いつもの瞑想が終わり、鉄平がレオン様に質問する。

「ねぇ、レオン様」

「なんだ」

「やりたいことは見つかったけど、これからどうすればいいの?」

「やりたいことが見つかったのだから、やりたいことをやるに
決まっておろうが」

「いや、でも、世界を楽しくするためには何をすればいいの?」

「それはお前の考えることだ」

「うーん、そう言われても何から考えればいいか分からないよ」

「それもお前が考えるのだ」

「何から考えるのかを考えるの?」

「そうだ」

「むちゃくちゃだよ、そんなの」

「むちゃくちゃでも何でも、やるしかなかろう」

「なんかヒントちょうだいよ、ヒント」

「相変わらず脳みそは幼稚なままのようだな」

「悔しいけど言い返せない・・・」

「では私の質問に答えよ」

「お前の考える“楽しい世界”とは、どんな世界なのだ?」

「みんなが笑顔で、貧困がなくて、不安もなくて、誰もが
やりたいことをやって暮らしている世界、かな」

「では、人はどういうときに笑顔になったり、
不安がなくなったりするのだ?」

「うーん、好きなことをやってるときはみんな笑顔になると
思うよ」

「あと、お金がたくさんあれば不安はなくなるかな」

「前者はよい、後者は本当か?」

「え、だってお金がたくさんあれば何かあっても安心でしょ」

「では例えば大地震や大津波があったらどうする、それでも
安心なのか?」

「そんなことは滅多に起こらないんだから、考えても仕方ない
じゃない」

「確かにそうかもしれぬ」

「しかしな、鉄平、お前は大きな勘違いをしておるぞ」

「何が勘違いなの?」

「人間の不安は、いつどこでも無くなることなどない」

「無くなったように感じるのは、不安が見えなくなっている、
もしくは見ないようにしているだけだ」

「今お前が言ったこともそうであろう」

「人間はいつだって死の不安に襲われている」

「それは確かに滅多に起こらぬのかもしれんが、決して消えた
ワケではない」

「どれだけお金があっても、不慮の事故は防ぎようがない」

「大金を積んでも人間を蘇生することはできない」

「だとすれば、不安がなくなるということ自体が幻想に過ぎない
ということだ」

「なんか納得できないなぁ」

「人間はそう簡単には死なないよ、医学だって発展してるんだし」

「死という発想が大袈裟だと思うならば、骨が折れて手が
動かなくなったら、頭を打って半身不随になったら、
親が倒れて付きっきりで介護をしなくてはいけなくなったら、
ということを考えてみよ」

「少しは実感が湧いてくるはずだ」

「どれもお金では解決できぬ不安であろう」

「なるほど、そう言われればそうだね」

「じゃあどう頑張っても不安はなくせないってこと?」

「そういうことになるな」

「不安は無くすのではなく、向き合うものだ」

「そうすれば自然と余計な不安は消えていく」

「本来、不安は恐れるようなものではない」

「にもかかわらず、多くの者が不安を恐れているのは、
不安のことをよく知らないからだ」

「幽霊でもお化けでも、人間はよく分からないものを恐がる」

「不安は、漠然としているうちは恐いが、具体的で明確な不安は
恐るるにたらぬということだ」

「ふーん」

「で、今の話がやりたいことと何の関係があるの?」

「ホントに鈍いヤツだな、お前は」

「わるーございましたねぇ」

「まずはお前自身が自分の不安と向き合うところから始めろ、
と言っておるのだ」

「いくらやりたいことがあっても、不安に押し潰されている
ようでは、気持ち良く活動することはできぬだろ」

「あ、そういうことね」

「でも今のところ特に不安なんてないよ」

「本当か?」

「うん」

「それはウソだな」

「え、なんでさ、不安なんてないって」

「さっきも言ったであろう、不安が無い、というのは幻想だと」

「お前は自分の不安に気付いておらぬだけだ」

「その証拠にお前は私に施す牛乳代をケチっておる」

「それはお金が無いんだから仕方ないじゃない」

「それがお前の不安だ」

「お前は、お金がない、という不安を持っておるのだ」

「それって不安とちょっと違うような気がするんだけど」

「何も違うことなどない」

「少し想像してみろ」

「今後お前がやりたいことを実現するために、どうしても大金が
必要になった場合、お前は生活するためのお金がなくなってしまう
という不安を理由に、それを諦めるのではないか?」

「どうしても必要な本、どうしても必要な交通費、どうしても
必要な機材、どうしても必要な設備環境などが高額だった場合、
お前はそれにお金を払うことができないだろう」

「なぜなら、お前は来月や再来月の生活費がなくなることに
不安を感じているからだ」

「お前は今、収入がないために、自分のやりたいことにお金を
使えなくなっている」

「もし今私が、お前のやりたいことを実現するためには
この5万円の本が必要だ、と言ったら素直に買えるか?」

「買えない」

「どうしてだ?」

「だってギリギリ節約して半年の生活費しか捻出できないのに、
5万円の本なんて買っちゃったら、半年が5カ月になっちゃう
じゃない」

「そんなの買えないに決まってるよ」

「そこがホンモノになれるか否かを分けるのだ」

「ホンモノになりたければ、そこで5万円の本をあっさりと
購入できなければならない」

「たとえ半年の生活費が5カ月の生活費になろうとも、だ」

「言いたいことは分かるけど、それは理想論だよ」

「いくらやりたいことが大切だとは言っても、生活できなきゃ
どうしようもないでしょ」

「その発想が凡人の発想だと言っておるのだ」

 

「いいか、鉄平」

「不安と向き合えば、今お前が考えているような余計な不安は
すべてなくなる」

「余計な不安とは、考える(感じる)意味のない不安だ」

「半年が5カ月になる・・・それがどうしたというのだ」

「5ヶ月になるなら、5カ月でなんとかすればいい」

「そう考えるのがホンモノであろう」

「そして、そう考えるためにも、なぜ半年が5ヶ月になると
不安になるのか、ということを明確にしておく必要があるのだ」

鉄平は黙って話を聞いている。

「仮に、収入がないから、という理由でお前が不安だったとしよう」

「そこで次は、なぜ収入がないと不安になるのか、ということを
考える」

「すると今度は、貯金が減っていくから、という理由が出てくる
かもしれない」

「次も同様にして、なぜ貯金が減ると不安なのかを考える」

「これは、気持ちの余裕がなくなるから、という理由にしておく」

「ではなぜ貯金が減ると気持ちの余裕がなくなるのか」

「これが胆になるワケだが、お前の場合は、先のことばかり考えて
今のことを見ようとしないからだ」

「半年先や5カ月先なんて、どうなっているかは誰にも分からない」

「いつでも誰でも予定は未定だ」

「にもかかわらず、お前はその誰にも分からない未来のことを考えて
勝手に不安を増幅させている」

「今やることが、半年後や5カ月後の自分を変えるのだということを
忘れている」

「今5万円の本を買えば、5カ月後には余裕のある暮らしができて
いるかもしれないのに、お前にはそれが見えていないのだ」

「言い換えれば、お前には今自分できることを精一杯がんばって、
未来を変えてやろうという意志が欠けている、ということだ」

「そんな人間がホンモノになれるはずがなかろう」

鉄平はレオン様の目を見て答えた。

「まだちゃんとは理解できないけど、なんとなくは分かった」

「俺はまだまだスタート地点にも立てていないような状況だ
ってことだね」

「そういうことだ」

「やりたいことが分かっただけでは、何も事は起こせない」

「物事には順序というものがあるのだ」

「で、結局これから俺はどうすればいいの?」

「さあな」

「なにそれー」

「そんなことより」

「そんなことってなんだよ、そんなことって」

「気にするな」

「そんなことより飯にするぞ」

「うぅー・・・」

 

・・・昼食後・・・

 

「んがぁー!!やっぱり何すりゃいいのか全然分からない!!」

「そう焦るな、鉄平」

「息抜きでもしてきたらどうだ」

「息抜きって?」

「さあな」

「おいっ!」

「とりあえず最初の難所は越えたのだから、好きなところへでも
出かけてくればよかろう」

「好きなところって言われてもなぁ」

「オススメは?」

「私にそれを聞くのか」

「それぐらい教えてよ」

「ガラパゴス島だ」

「聞いた私がバカでした」

「あそこは楽しいぞぉー」

「もういいってば」

「では動物園はどうだ」

「そっちを先に言ってよ!」

「動物園かぁー、なんかいいじゃん、それ」

「ガラパゴス島には劣るがな」

「じゃあ早速行ってくるよ」

「土産を忘れるでないぞ」

「分かったよ(やっぱりそれが狙いだったか)」

 

・・・動物園・・・

 

「平日だと空いてるなー」

「お、最初はフラミンゴか」

※豆知識:フラミンゴの淡いピンク色は、餌の色素によるもので、
通常、動物園の餌は色づけのために着色料が混ぜられている。

「あいつら片足でずっと立ってて疲れないのかなぁ」

「あ、首が長いから、自分の胴体に頭を乗っけて休憩できるのね、
なるほど」

「まあいいや、つぎつぎ」

「タカ発見!」

「いや、あれはワシか?」

「あぁ、タカって書いてあるな」

「こいつらの目って、どこかで見たことがあるような気が
するんだよなー・・・」

「うーん・・・忘れた」

そこから鉄平はライオン、ゾウ、シマウマ、ペンギン、キリン、
オウム、爬虫類館、猿、ゴリラ、オットセイ、コアラ、羊、
山羊などを見て回った。

そして彼は最後にマンドリルを見つける。

「うおぉ、なんだ、この鮮やかな赤や水色は」

「こんな色が自然界に存在するのかぁ」

「そういえばオウムや爬虫類もめちゃくちゃ鮮やかな色だったなぁ」

「どうやったら、あんな色ができるんだろ?」

「というより、どこにあんな色をしている意味があるんだろ?」

「うーん、分からん」

「レオン様なら知ってるかなぁ」

「帰ったら聞いてみよ」

 

・・・夕方(帰宅)・・・

 

「ただいまー!」

「・・・」

「あれ?」

「ただい」

「よっ!」

「うわっ!?」

「またそのパターンかよ」

「お決まりだからな」

「それよりも動物園は楽しかったか?」

「うん、それなりにね」

「それは何よりだ」

「あ、そうそう、レオン様に聞きたいことがあったんだよ」

「なんだ」

「なんで南国の動物はあんな鮮やかな色なのか、レオン様なら
知ってるんじゃないかと思って」

「そんなことは知らぬ」

「えぇー、知らないのー」

「当たり前だ」

「そんな形而上学的な問いに、正解などあるはずがなかろう」

「ただ、それでガッカリすることはない」

「なんで?」

「お前の今日の収穫は、その疑問を得たことだからだ」

「どゆこと?」

「午前中は何を考えればいいか分からないと言っていたお前が、
今は考えることを見つけた」

「それで十分だということだ」

「ほぇ?」

「まあ理解できないなら、それでもよい」

「とにかくお前は今日、ちゃんと仕事をしたのだ、安心せい」

「はぁ、そうですか」

「うむ」

「で、鉄平」

「お前もしかして、また忘れたのではあるまいな」

「ん?なにを?」

「きさまぁぁぁぁぁ!!またしても土産を忘れおってぇ!!!」

「あ、いや(うわぁ、完全に忘れてたぁ・・・)」

「仏の顔も三度までと言うであろうがぁぁぁ!!!」

「えーっと、あのー、まだ二度目ですけどぉ・・・」

急にレオン様の目が元に戻る。

「お、確かにそうだな」

「ね、ね、だからあと1回猶予があるでしょ」

「私は自分の言ったことは守る主義だ」

「仕方あるまい、今回も仏の顔に免じて見逃してやる」

「ふぅ・・・」

「しかし次こそは覚えておれよ」

「本当にどうなっても知らぬからな」

こうして2人(1人と1匹)は、いろんなごたごたが
ありながらも、なんとかやっているのだった。

つづく。

 

ありがとうございました。

杉野

 

追伸1:イラスト募集。

もしこのメルマガ(もしくはブログ)を読まれている方で、
「レオン様と鉄平のイラストを書いてやってもいいぞ」という
奇特な方がおられましたら、ぜひ

info●philosophia-style.com

までご連絡ください。

お寄せいただいたイラストは、すべてブログに貼りつけて
制作者HPなども宣伝させていただきます。

よろしくですー。

 

追伸2:ブログ。

メルマガのバックナンバーはブログに貼っておきます。

復習したい場合はいつでも見に来てくださいませ。

http://kokohiru.philosophia-style.com/

 

追伸3:メルマガの登録・解除。

登録・解除は以下のリンク先からどうぞ。

http://www.mag2.com/m/0001593615.html

【第12号】猫が教える成功哲学 ニャポレオン・ヒルの秘密(3)

No Comments

ども、杉野です。

いつも通り、大体2ヶ月ぶりですね(笑)

今回はニャポレオン・ヒルの続きです。

意外と読まれているようなので、がんばってみました。

サクッと読んでくださいな。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第12号 猫が教える成功哲学 ニャポレオン・ヒルの秘密(3)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

・・・2日目・・・

リリリリリリリッ!!(目覚ましの音)

「うーん、むにゃむにゃ・・・」

「はぁー・・・朝かぁ・・・」

カチッ(目覚ましを止める)

「しかし、4時って早過ぎだよなー・・・」

鉄平はまだ布団にもぐって目をこすっている。

「よっ!」

「うわっ!」

「うわっ!とはなんだ、人を化け物みたいに」

「いっつも急過ぎるんだよ、出てくるのが」

「それにあんたは人じゃないって」

「まあ細かいことは気にするな」

「それより、今日はちゃんと起きていたようだな」

「言われてたからね」

「これからは毎日4時起きだからな、寝坊するなよ」

「えぇ!?毎日なんて聞いてないよ」

「今はじめて言ったのだから当たり前だ」

「いや、そういう意味じゃなくて」

「じゃあどういう意味だ」

「毎日4時起きってのは、ちょっと勘弁してほしいんですけど」

「なぜだ?」

「なぜって、ほら、やっぱり眠いし」

「理由になっておらんな」

「だってぇー」

「だってぇー、じゃない!」

「お前も、早起きは三文の得、という言葉を知っておるだろ」

「この言葉の意味は、やっていればすぐに理解できる」

「とにかく明日からもずっと4時起きだ、忘れんようにな」

「ふぇーい・・・」

 

「ところで、こんな朝早くから何やるのさ」

「瞑想だ」

「はぁ?瞑想?」

「そうだ」

「いやいや、俺、瞑想なんてやったことないよ」

「それは私が教えてやる」

「いや、そういう話じゃなくて、瞑想ってアレでしょ?」

「アレとはなんだ」

「あのー、宗教っぽいヤツでしょ?興味ないんだよねー、そういうの」

「お前は何と勘違いしておるのだ?」

「えっ?みんなで目をつむって、神様にお祈りするんじゃないの?」

「そんなことはせん、目はつむるがな」

「じゃあ瞑想ってなんなの?」

「瞑想というのは、精神をフラットな状態に保つための訓練だ」

「人間は普段、自分の解釈で世界を見ている」

「例えばお前は私のことを猫だと思っているが、実際には私は
猫ではない」

「前々から喋れる猫なんているワケないと思ってたけど、
やっぱりそうだったかぁ」

「そういう話ではない」

「え?」

「<猫>とは、厳密には、目がパッチリしていて、鼻にひげがあって、
4本足で歩くネコ科に属する小型動物のことだ」

「それを人間が勝手に解釈して<猫>と呼んでいるだけで、猫という
何かがこの世に存在するワケではない」

「実際に存在するのは、猫と解釈しうる何か、だということだ」

「何か、ってなにさ」

「そんなことはどうでもよい」

「どうでもよくないよ」

「レオン様が猫じゃないなら、一体何だっていうのさ」

「そういうことをいちいち気にしているから、お前には瞑想が
必要なのだ」

「はぁ?」

「瞑想は今言った、何か、を、何か、のまま見るための訓練だ」

「瞑想をやっていくと、世界のすべてがフラットに見られる
ようになる」

「今まで失敗だと思っていたことが、別の角度から見れば成功であり、
今までムカついていたことが、別の角度から見れば有り難いことである
ということに気付くようになるのだ」

「世界をフラットに見るとは、それをあるがままに捉えるということを
意味する」

「つまり、自分の感情や思考(認識)を働かさずに、世界を世界のまま
見るということだ」

「???」

「混乱しているようだな」

「まあ今のお前の頭では、無理もない」

「ガルゥゥゥ!!」

「はぁ・・・・」

「とにかく今から始めるぞ」

「えぇぇ・・・」

「あ、じゃあ、その前に1つだけ教えてよ」

「なんだ」

「瞑想を続けると、どんな効果があるの?」

「やれば分かる、と言いたいところだが、それぐらいは教えておいて
やろう」

「瞑想を続けていくと、自分の感情や欲望に振り回されなくなる」

「これが最も重要な効果だ」

「どういうこと?」

「例えばお腹が空いても、お腹が空いていること自体がどうでもいいと
思えるようになる」

「ムカつくことや悲しいことが起こっても冷静でいることができ、
物欲や金銭欲、その他の欲も消えていく」

「それって人間じゃなくなっていくってこと?」

「少し違うな」

「より自然に近づいていく、よりシンプルに暮らせるようになっていく、
と言う方が正しい」

「イメージで言えば、天皇や皇太子のような感じだ」

「ほぉ」

「私は彼らには関与しておらぬが、彼らも恐らく瞑想のような
何かしらの修行をしておるのだろう」

「そうでなければ、あのような人間離れした雰囲気をまとうことは
できぬからな」

「つまり俺に天皇や皇太子を目指せと」

「そういうことではない」

「じゃあどういうこと?」

「それはさっき言った通りだ」

「感情や欲望に振り回されなくなれば、それでよい」

「それ以上になりたいか否かは、やってみてからお前自身で考えろ」

「ふーん」

「少しはやる気になったか?」

「まあ少しはね」

「瞑想は、分かることよりも出来ることに意味がある」

「そういうものなのかね」

「そういうものだ」

「さあ、分かったら早速始めるぞ」

「へいへい」

 

「まずは座布団を用意しろ」

「座布団なんて持ってないよ」

「無いなら布団でよい」

「布団を3つ折りにして、その上に座れ」

「座り方は?」

「なんでも構わぬ」

「え?正座じゃなくてもいいの?」

「お前が一番楽だと思う座り方で座ればよい」

「そしてカーテンを閉めて電気を消す」

「これは私がやってやろう」

「あ、ありがとう」

「準備ができたら目をつむって、自分の呼吸、鼻の穴の空気の
出入りに意識を集中する」

「空気が入って出ていく、ただそれだけに意識を向けるのだ」

「このとき、体は可能なかぎり動かさぬように」

「動かしてもいいのは首と背筋のみ」

「どこかが痒くなっても、意識は呼吸に向けたままにする」

「痒みなんてものは、数分もすれば自然に消えていくからな」

「まずは30分続けるぞ」

 

・・・30分経過・・・

 

「よし、姿勢を崩してよいぞ」

「ふぅーーー、足がぁぁぁ・・・」

「しびれたか」

「うん・・・うおっ!!た、立てない・・・」

「ただじっとしているのが、こんなに辛いとは思わなかったよ」

「だろうな」

「それと、呼吸に意識を向けるのも案外難しいんだね」

「2,3分ぐらいは続くんだけど、気がついたら全然別のことを
考えていたりして、ぜんぜん集中できなかった」

「自分の意識がどれだけ散漫か分かっただろ」

「うん、これは認めざるを得ないね」

「人間は普段、そうやって無駄なことばかり考えて生きておる」

「だから無駄なことばかりに右往左往して、まともな判断が
できぬのだ」

「反省しましたー」

「よろしい」

「ではもう一度やるぞ」

「えー、まだやるのー」

「当たり前だ、さっさと準備しろ」

「はーい・・・」

 

この朝、結局鉄平は30分の瞑想を合計3回行った。

 

「おわったー!!!!」

「では朝飯にするぞ」

「おう!!」

「しかし、これでまだ7時だなんて信じらんないよ」

「瞑想してると、時間が経つのが遅いのなんのって」

「30分が2時間ぐらいに感じたよ」

「そうだろうな」

「動画を見ている時間と比べるとどうだ?」

「動画を見てるときは1時間が10分ぐらいに感じるから、
10倍以上の差があるね」

「なぜか分かるか?」

「そんなこと急に聞かれてもなぁ」

「では飯を食っている間に考えておけ」

「うーん・・・」

 

「ごちそうさまでした」

「うむ」

「何か答えは浮かんだか?」

「じぇんじぇん」

「やはりお前の頭では無理か」

「わるーございましたねぇ」

「じゃあ答えは何なのさ」

「無意識か意識か、これが関係しておる」

「動画を見るときには、人間の意識はほとんど働いておらぬ」

「その証拠に、お前は動画を見ても疲れぬだろ」

「うん、あんまり疲れないね」

「瞑想と比べたらどうだ?」

「瞑想の方が圧倒的にキツイよ」

「そう、人間は意識を使うと疲れるのだ」

「瞑想でなくても、ややこしい計算をした後や、テスト勉強をした
後などは疲れているはずだ」

「1時間しか勉強してないのにヘロヘロ、なんてことはざらに
あるだろう」

「たしかに」

「にもかかわらず、動画が何時間でも集中して見続けられるのは、
そこでは意識が使われていないからだ」

「だから疲れない」

「動画というのはよくも悪くも、意識ではなく無意識で、
思考ではなく感覚で捉えられる」

「それによって、何時間でも見続けられるということだ」

「もちろん動画を見る場合であっても、意識を使っていれば
そのかぎりではないが、そもそも意識しなければならないような
動画は人気がない」

「なんで?」

「見ていると疲れるのだから、当然だろう」

「小難しいことを言っている動画が不人気で、どうでもいい
下らない動画が人気なのは、そのためだ」

「これ以上の細かい話は割愛する」

「わかったか」

「大体はね」

「どこが分からんのだ」

「意識を使うと疲れるけど、無意識は疲れない、ってところ」

「なんで無意識は使っても疲れないの?」

「それは、そういうものだから、としか言い様がない」

「そもそも無意識が何なのかさえよく分かっておらぬのだから、
無意識の構造などは未知なる領域だ」

「なるほど」

「さぁ、余談はこれぐらいにして、今日の課題を始めるぞ」

 

「今日は何するんだっけ?」

「ブレインダンプの続きだ、お前はもう痴呆が始まったのか?」

「ひとこと余計だよ」

「まずは昨日のノートを開く」

「はい」

「あとはそのノートを見ながら、そこに書いてあるキーワードの
1つ1つに、なぜ、と問いかけていくだけだ」

「それだけ?」

「そう、それだけ」

「例は昨日言ったから分かるな」

「えっと、どうやるんだっけ?」

「やはりお前、痴呆ではないか?」

「その話はもういいから」

「仕方がない、もう一度説明してやろう」

「その代わり、分かっておるだろうな?」

「はいはい、昼ご飯に煮干しつけてあげるから」

「よろしい」

「口の悪さと食い意地だけは一流だな・・・」

「例えば、英語がペラペラになりたい、というキーワードが
あった場合、

なぜ英語がペラペラになりたいのか・・・外国人の友達が
ほしいから

なぜ外国人の友達がほしいのか・・・自分の世界を広げたいから

なぜ自分の世界を広げたいのか・・・今の自分の世界が
狭過ぎるから

なぜ今の自分の世界は狭過ぎるのか・・・殻に閉じこもって
いるから

なぜ殻に閉じこもっているのか・・・

という風に考えるということだ」

「なぜ、の回数は10回前後を目安にするといいだろう」

「それをやったあと、どうするんだっけ?」

「あとのことは考えなくてもよい」

「とにかく、これを1週間ほど続けるだけだ」

「ふーん」

「分かったら、さっさと始めるぞ」

「うん」

 

・・・昼食・・・

 

「そろそろ昼飯にするぞ」

「あ、うん」

「今回のは昨日の作業ほどには疲れないね」

「朝の瞑想の方がよっぽどキツかったよ」

「そうか」

「何か感じることはあったか?」

「うーん、今のところはまだ無いかなー」

「あ、ただ、意外と自分はいろんなこと考えてるんだな、
ってことは分かったよ」

「今までは単に高級な腕時計を欲しいだけだと思ってたのに、
その理由が自分の人間性に関係していたりして、自分の知らない
自分が見えてきた感じはする」

「それが狙いだからな」

「へ?」

「今の時点でそれが分かっているなら、やりたいことを
見つけるまでに、そう時間はかからぬだろう」

「ホントに?」

「うむ」

「ところで鉄平」

「ん?」

「これはどういうことだ!」

「何が?」

「煮干しは煮干しでも、3本しか入っておらぬではないか!」

「だって、まだ先は長いんでしょ?」

「だったら、こっちも色々節約しないと」

「それとこれとは」

「ウソはついてないもんねー」

「おのれ、貧乏人めー」

「次からはちゃんと本数まで指定してやるからな、覚えておれ!」

「いひひっ」

 

・・・昼食後・・・

 

「さて、再開だ」

「午後はどうするの?」

「同じことをやればよい」

「そっか、分かった」

ここで鉄平は大事なことを思い出した。

「あ、そうそう、そういえば昨日友達から連絡があって、
今日の夕方から出かける予定になったんだけど、問題ないよね?」

「今なんと言った?」

「いや、だから夕方から出かける予定があるんだよ」

「・・・」

「レオン様?」

「・・・お前は何も分かっておらぬようだな」

「え?なにが?」

「友達と2,3時間遊ぶだけでもダメってこと?」

「これだけのことやってるんだから、ちょっとぐらい息抜きしても
いいじゃないか」

「そう思うなら、好きにすればよい」

「それって、行ってもいいってことだよね?」

「お前が行きたいのならな」

「うっしゃー!!」

「じゃあ午後もちゃんと頑張りますので、よろしくお願いします!」

 

・・・夕方・・・

 

「あ、そろそろ時間だから行ってくるね」

「・・・」

レオン様は黙ったままコクリと頷き、そのあとはじっと夕焼けの空を
見上げていた。

 

「うぃっすー、ひさしぶりー!!」

「おぉ、鉄平」

「お前んとこの会社、潰れちゃったらしいな」

「そうなんだよぉ」

「生活は大丈夫なのか?」

「まあ失業保険やら何やらで、なんとかね」

「そかそか」

「あのー、余計なお世話かもしれないけどさ」

「ん?」

「よかったら、うちに来ないか?」

「さすがに俺にはお前を雇う権限はないけど、紹介ぐらいは
してやれるからさ」

「うちは出版会社だけど、鉄平みたいなエンジニアが一人いると
随分作業も効率化されて助かると思うんだよ」

「うーん、それは有り難い話なんだけど」

「うちはどうよ」

「お前、車の免許は持ってるだろ?」

「うん、一応持ってるけど」

「うち運送会社だからさ、免許さえあればなんとかなると思うぜ」

「そこそこキツイ仕事だけど、その分給料も結構もらえるし、
覚えることも少ないから、すぐに慣れるって」

「いや、まあそうかもしれないけど」

「なんか乗り気じゃないみたいだな」

「うん・・・」

「お前らってさ、なんで仕事してんの?」

「はぁ?なにを突然言い出すかと思えば」

「そんなもん、金稼ぐために決まってんじゃん」

「そりゃそうだろうけど、それ以外になんかないの?」

「なんかって?」

「例えば、やりがいとか、楽しさとか、情とか」

「うーん、みんないい人だから情は多少はあるけど、やりがいや
楽しさはそこまで感じてないなぁ」

「安定して金稼げりゃ、とりあえずそれでいいんじゃないの?」

「あ、もちろん楽なのに越したことはないけど」

「そうか」

「じゃあさ、今の会社が潰れたらどうするかって考えてる?」

「なーんも」

「右に同じー」

「私もなんも考えてないわ」

「潰れたら潰れたときに考えればいいんじゃねーの?」

「だって、鉄平も考えてなかったんだろ?」

「まあ確かにそうなんだけど」

「だったら一緒じゃん」

友達の一人がそう言うと、鉄平が突然大声を出した。

「一緒にすんなよ!!!!」

周りのみんなは驚いて固まっている。

「なんでお前ら、そんなにテキトーに生きてて平気なんだよ」

「お前ら本当に、そんな人生でいいのか?」

「自分の人生だぞ?」

「おいおい、なに急に熱くなってんだよ」

「バカみたい」

「いいじゃん、みんなそこそこ楽しくやってんだから」

「人生なんて、なるようにしかならないって」

「今日はそういう堅い話をするために集まったんじゃないんだし、
もっと気楽にやろうぜ」

「お、そういえば俺最近Aってマンガにハマってんだけどさ、
この主人公がまた間抜けで笑えんだよ・・・まずは内容を
教えてよ・・・いや、それがね・・・・・・」

この夜、鉄平は悟った。

自分はもう、彼らとは別の人間なのだ、と。

鉄平の頭に、あのときのレオン様の悲しげな顔が浮かぶ。

「明日、レオン様に謝ろう」

彼はそう心に誓ったのだった。

つづく。

 

この記事に関するご意見ご感想は

info●philosophia-style.com

までどうぞ。

ありがとうございました。

杉野

 

追伸1:ブログ。

メルマガのバックナンバーはブログに貼っておきます。

復習したい場合はいつでも見に来てくださいませ。

http://kokohiru.philosophia-style.com/

 

追伸2:メルマガの登録・解除。

登録・解除は以下のリンク先からどうぞ。

http://www.mag2.com/m/0001593615.html

【第11号】失敗は成功の母か?

No Comments

ども、杉野です。

また2ヶ月ぐらい空いちゃいましたね(苦笑)

いっそ隔月配信とか言っちゃってもいいんですが、そういう風に
配信ペースを決めてしまうと、今度はそれすら守れなくなる、
というのが僕の性質です(笑)

だからやっぱり不定期の配信のままにしておきます。

もう1つのメインで書いているメルマガは月に4回とか6回とか
配信してたりするんですけどねー。

まあ今後も気長にお付き合いくださいませ。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第11号 失敗は成功の母か?

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

失敗は成功の母である。

こういう類の言葉が世間にはたくさん出回っています。

私はあの失敗があったからこそ今成功しているんだ、なんてことを
語る人も少なくありません。

以前、このメルマガでエジソンの話をしたことがありましたが、
あれも結局はこういうことを言っています。

失敗しなければ成功しない。

これは1つの「真実」です。

ただ、この「真実」には世間的に大きく誤解されていることがあります。

そもそも「真実」とは、ある事実に対する1つの解釈でしかありません。

例えば僕が起業して何かのビジネスで月収1000万円を稼いだと
しましょう。

普通に考えて、この事実だけを見れば、これは成功だと思います。

しかし、僕がこの月収1000万円に味をしめて、お金を稼ぐことに
執着し出したとしたら、どうでしょうか?

このメルマガで金儲けの話ばかりし出したら、あなたはどう思う
でしょうか?

1000万円を稼いだことだけを見れば成功ですが、それによって
僕の人間性が失われたとしたら、金銭的には成功していても人間的には
失敗したことになります。

逆に1000万円の借金を抱えてビジネスが頓挫してしまった場合、
普通これは失敗と言われるワケですが、これによって大切なことに
気付いたとしても、それは失敗なのでしょうか?

少なくとも僕はそういう一面的な見方は受け入れられません。

「人間万事塞翁が馬」という言葉があるように、何が失敗で何が成功かは
その人がどういう視点で事実を見るかによるのです。

 

金銭的には成功に見えても、人間的に失敗することは山ほどあります。

短期的には成功に見えても、長期的に失敗することは山ほどあります。

重要なのは、どの視点で「事実」を見るか、です。

凡人は目の前のことしか見ようとしません。

「今日手に入る100万円」と「10年後に手に入る1億円」の2択が
あったとしたら、彼らはあっさり今日手に入る100万円を受け取ります。

もちろん、ここで話しているように明確に2択を提示されれば彼らも
後者を選ぶでしょうが、彼らに見えているのは前者のみです。

だって彼らは目の前のことしか見ようとしないんだから。

今回参議院選挙で自民党が圧勝したのは、まさにこれが理由です。

アベノミクスは短期的・中期的には効果を期待できますが、長期的には
失敗します。

これはあの政策を長期的な視点で考えれば、誰にでも分かることです。

ここはそういうメルマガじゃないので細かいことは説明しませんが、
凡人はそうやって短期的な利益が長期的な損失を生み出していることに
気付かないワケです。

 

凡人にとっての成功とは、「目の前の成功」を意味します。

今100万円稼げること。

今宝くじが当たること。

これが彼らの言う成功です。

この定義においては、失敗は成功の母である、という言葉はまったく
当てはまりません。

失敗は「目の前の成功」の母ではない、ということです。

じゃあ「目の前の成功」の母は何かというと、愚かさ、です。

本質を見失ったまま生きていれば、「目の前の成功」は簡単に
手に入ります。

それが宝くじの10万円か、おまけのアイスクリーム1本か、
はたまた楽天のキャンペーンで当たった楽天ポイントかの違いは
ありますが、いずれにせよ、手に入ることは間違いありません。

それなりに努力家ならば、書きたくもないブログ記事を山ほど書いて
アフィリエイトで100万円を稼ぐのも夢ではないでしょう。

努力家であることと愚かであることは両立します。

本質を見失った努力家、報われない努力家と言えば分かるでしょうか。

せっかく手に入れた高学歴、資格、技能、知識も、正しい使い方を
知らなければ何の役にも立たたないということに、彼らは気付いて
いません。

努力していること自体は素晴らしいのに、その方向を「目の前」に
向けてしまっているばかりに、彼らは将来得られるはずだった
大きな利益を自ら捨ててしまっているのです。

これは非常にもったいないと思います。

 

成功に値する人間を目指すならば、「目の前の成功」ではなく
「人生の成功」に目を向けるべきです。

失敗は「人生の成功」の母です。

「人生の成功」を目指す者にだけ、失敗は母として接してくれます。

彼女の躾は時にわれわれを絶望のどん底へと追いやることが
ありますが、それはわれわれがそこから這い上がれるだけの力を
持っていると彼女が信じているからです。

躾である以上、彼女はわれわれを殺そうとはしません。

われわれが彼女に殺されるとしたら、それは躾のためではなく、
われわれがその躾を誤解して恨んだり凹んだりしたときだけです。

母の愛に気付けなかったときだけです。

もしあなたが失敗して落ち込んだり自暴自棄になったりしているなら、
冷静になって考えてみてください。

その失敗を長期的に見たとしても、人間的成長の機会と捉えたとしても、
それでも本当に失敗なのか、と。

失敗の苦痛に耐えることによって得られるものは何もないのか、と。

そうすれば、彼女は優しく微笑んでくれるはずです。

 

なぜ失敗は「人生の成功」という子供を生むことができるのか。

「人生の成功」とは、一体何なのか。

この問いが解けたとき、あなたはもう成功していることでしょう。

「目の前の成功」なんてものに踊らされてはいけません。

われわれは人間として、一生を通して成功し続けなければならないの
ですから。

楽じゃないですよ、この道は。

ありがとうございました。

杉野

 

追伸1:メインのメルマガについて。

僕がメインで書いているメルマガ記事のいくつかは以下のブログに
転載しています。

興味があれば読んでみてくださいな。

http://blog.philosophia-style.com

 

追伸2:ご意見ご感想など。

この記事に関するご意見ご感想などがあれば

info●philosophia-style.com

まで送ってください。

頂いたメールには、ちゃんとお返事いたします。

 

追伸3:ブログ。

メルマガのバックナンバーはブログに貼ってあります。

復習したい場合はいつでも見に来てくださいませ。

http://kokohiru.philosophia-style.com/

 

追伸4:メルマガの登録・解除。

登録・解除は以下のリンク先からどうぞ。

http://www.mag2.com/m/0001593615.html

【第10号】成功法則の限界

No Comments

ども、杉野です。

えー、長いこと死んでました(笑)

もう前回から2ヶ月ぐらい経っちゃったかもしれませんね。

なんでこういうことになったのかは、今回の記事を読めば
分かると思うので、早速本編に入ることにしましょう。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第10号 成功法則の限界

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

同じ時間に、同じ教室で、同じ教科書を使って、同じ先生の、
同じ授業を受けて、同じテストが出されるにもかかわらず、
人によって成績が違う。

これは誰もが学生時代に経験することです。

どれだけ熱心な先生が熱心に授業をやっても、生徒によって
必ず成績に差が出ます。

数学が得意な生徒もいれば、数学が苦手な生徒もいるし、
英語が得意な生徒もいれば、英語が苦手な生徒もいる。

当たり前のことです。

しかし、巷の自己啓発や成功哲学では、この当たり前のことが
あまりにもあっさり無視されています。

それはよく前書きに書かれている

「これを実践すれば、あなたは必ず成功します」

というセリフからも明らかです。

その本の内容がどれだけ優れていたとしても、それによって
成功できる読者は恐らく1%にもどときません。

なぜなら、みんなそれぞれ別の人間だからです。

この世に同じ人間は一人としていません。

30人の生徒がいれば、そこには30通りの学び方があり、
30通りの分かりやすさがあります。

例えば「5+6=?」という問題がすぐに解ける人であっても
「?+?=11」という問題をすぐに解けるとは限りません。

ある人は前者の方が分かりやすいと感じるかもしれないし、
別のある人は後者の方が分かりやすいと感じるかもしれません。

同じことを教えるのでも、こういった違いがそれぞれの生徒の
理解度に影響を与えるのです。

言われれば当たり前のことなんですが、われわれはどこかで
このことを忘れています。

テストで90点を取ったAさんと15点しか取れなかったBさんを
比べてBさんをバカだと思ってしまうのはそのためです。

ここまでの話を踏まえるならば、恐らくそのテストはAさん向きの
Aさんに有利なテストだっただけです。

もちろんAさんはAさんなりに努力したのだと思います。

しかし、同じ先生の、同じ授業を受けて、同じテストを出された
にもかかわらず、2人にこれだけの差が生まれる理由としては、
その先生や授業やテストとAさんの相性がよかった(逆に言えば
Bさんとは相性が悪かった)と考えるのが妥当です。

つまり、人間と人間に相性があるように、方法と人間、テストと
人間にも相性があるのです。

巷の成功法則は今言ったことをまったく無視しています。

「これをやれば絶対に成功できる」なんてことは、それこそ絶対に
あり得ません。

牛乳を飲んで背が伸びる人もいれば、お腹を壊す人もいるし、
玄米だけを食べて健康を保てる人もいれば、野菜やお肉を
食べなければ健康を保てない人もいる。

1日3時間の睡眠で十分な人もいれば、10時間ぐらい寝ないと
足りない人もいる。

それが人間です。

何がその人のためであるかは一概には言えません。

人間には必ず向き不向きがあります。

そして、何が自分に合っているのかは、究極的には自分にしか
分かりません。

要するに、その人には、その人に合った成功法則があるのであり、
それは自分で見つけるしかないということです。

参考までに個人的な話をさせてもらうと、僕は目標を立てること
自体が向いていません。

僕の場合は、具体的な目標を立てると、むしろやる気が落ちて
しまうのです。

それは僕に根性がないからかもしれないですが、目標を考えずに、
そのときに楽しいと思えることをやっている方が結果として
良い方向に進みます。

そのため、自慢じゃないですが、僕は片手で数えられるぐらいしか
目標を達成したことがありません(笑)

一般的に見れば、完全に「だらしのない奴」です。

このメルマガだって、どんだけ休んでんだ、って話ですしね。

けれども、それが僕なんだから仕方がない(笑)

これは開き直っている面も若干ありますが、それ以上に、
僕は僕のペースでやらなければ本来の力を発揮できないのです。

力を発揮できない僕なんて、存在する価値がありません。

あなただって、好き好んで僕の力の抜けたショボイ記事を
読みたいとは思わないはずです。

そんなショボイ記事を書くぐらいなら、何も書かずに別のことを
やっている方がいい。

そう思うから僕は書かないし、結果として書かない方がお互いの
ためになっています。

それが僕の成功法則の1つなのです。

参考になったかどうかは分かりませんが、少なくとも世間で
言われている成功法則が絶対に正しいワケではないということは
分かったと思います。

目標がなければダメだなんて、まったくのウソです。

いや、正確にはウソでもあるしホントでもあります。

僕にとってはそれがウソなだけで、あなたにとってはホントかも
しれません。

大事なのは、それを実践する中で自分に合ったものを自分で見つける
ということです。

最初の段階では何も分からないので、ある程度は巷の成功法則を
鵜呑みにするしかないと思います。

ただ、それをそのまま続けるんじゃなくて、その中で自分に合うものと
合わないものを振り分けていくという作業をやってください。

その振り分けは「感じ」で振り分けるしかありません。

自分に合っている感じがするか、合わない感じがするか。

それが振り分けの基準です。

そうやって自分の成功法則を作っていくこと自体が、成功体験でも
あるのです。

人間にはいろんなタイプがあります。

ユングのアーキタイプのような難しい話をするまでもなく、
例えば星座によって運勢が違うというのも、星座それぞれに
タイプがあるからです。

今日の運勢が最高の人もいれば、最悪の人もいる。

今日成功しやすい人もいれば、成功しにくい人もいる。

今回の話はその程度の話だと思ってください。

あなたには、あなたの運勢があり、あなたの成功法則があります。

それを自分で見極められるようになりましょう。

ありがとうございました。

杉野

追伸1:ご意見ご感想など。

この記事に関するご意見ご感想などがあれば

info●philosophia-style.com

まで送ってください。

頂いたメールには、ちゃんとお返事いたします。

追伸2:メルマガに頂いた意見。

前回(約2ヶ月前)、目標についての解説をしたと思いますが、
それについて送ってくれたメールの転載許可が降りていたので
ここに転載させてもらうことにします。

優秀な意見ですので、目標について考える際の参考にして
くださいませ。

(以下転載)

「明確な目標」をたてることは正しいと思います。

ただ、メルマガを読んでいて感じるようになった、また自分でも
考えはじめたのは、明確な目標を立てること以前に、現状をしっかり
把握することが大切だということです。

明確な目標を立てるのは、素晴らしいことです。

しかし、その立てた目標が「明確な」ものであったとしても方向性や
程度を誤ってしまえば、その目標は目標としての意味をなさなく
なるのではないでしょうか。

よって、明確な目標を立てる前にやるべきもっと大切なことは、
「現状を正確に把握する」「今足りないものは何かを明確にする」ことだと
考えました。

それをやってはじめて、これからどうするべきなのかが見えてくる。

仮説と検証のお話とも絡んでくるかもしれませんが、目標は段階的に
設定すべきものであると考えます。

現状と目標の間の距離を埋めて行くことで、目標に到達できるのですから、
その距離が遠過ぎれば、過程が不明瞭になってしまいます。

ともすれば、途中で見当違いの方向へいってしまったり、目標自体を
見失うことになりかねません。

今自分がどの位置まできているのかを常に検討し、時には目標を修正する
必要があります。

そういう意味では「明確な目標」は始めに立てるのではなく、新たに立て続け
なければならない。

状況は常に変化していくからです。

追伸3:ブログ。

メルマガのバックナンバーはブログに貼ってあります。

復習したい場合はいつでも見に来てくださいませ。

http://kokohiru.philosophia-style.com/

追伸4:メルマガの登録・解除。

登録・解除は以下のリンク先からどうぞ。

http://www.mag2.com/m/0001593615.html

Pages: Prev 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 Next

Older Entries Newer Entries